親父の一番長い日
親父の一番長い日 | |
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中文译名 | 老爸最长的一天 |
作词 | さだまさし |
作曲 | さだまさし |
编曲 | 山本直純 |
原唱 | さだまさし |
初次发行 | 1979年10月12日 |
『親父の一番長い日』(老爸最长的一天)是さだまさし(佐田雅志)于1979年10月12日发表的同名单曲中的歌曲,也是さだまさし的代表作品之一。
歌词
日文
おばあちゃんは夕餉の片付けを終えた時
弟は2階のゆりかごの中で
僕と親父は街頭テレビのカラテ・チョップが
白熱した頃に 妹の誕生を知った
それから親父は 占いの本と辞書と
首っぴきで
実に一週間もかけて
娘のために つまりはきわめて何事もない
ありふれた名前を見つけ出した
お七夜 宮参り 夫婦は自画自賛
可愛いい娘だと はしゃぎ廻るけれど
僕にはひいき目に見ても しわくちゃの失敗作品
やがて彼女を訪れる 不幸に胸を痛めた mm…
兄貴として mm…
妹の生まれた頃の我が家は
お世辞にも 豊かな状態でなかったが
暗闇の中で 何かをきっかけに
灯りが見えることがある
そんな出来事だったろう
親思う心に勝る 親心とやら
そんな訳で妹は ほんのかけらも
みじめな思いをせずに育てられた
ただ顔が親父に似たことを除けば
七五三 新入学 夫婦は狂喜乱舞
赤いランドセル 背負ってか 背負われてか
学校への坂道を 足元ふらふら下りてゆく
一枚のスナップが 今も胸に残ってる mm…
兄貴として mm…
我が家の血筋か 妹も足だけは速くて
学級対抗のリレーの花形で
もっとも親父の応援のすごさに
相手が気おくれをして
随分助けられてはいたが
これも我が家の血筋か かなりの演技派で
学芸会でもちゃんと 役をもらった
親父の喜びは 言うまでもない
たとえその役が 一寸法師の 赤鬼の役であったにしても
妹 才気煥発 夫婦は無我夢中
反抗期を過ぎて お赤飯を炊いて
中学に入れば 多少 女らしくなるかも知れぬと
家族の淡い期待 あっさり裏切られてがっかり mm…
兄貴として mm…
妹の初恋は高校二年の秋
相手のバレー部のキャプテンは よくあるケース
結局言い出せる 筈もなく
枯葉の如く散った これもまたよくあるパターン
彼氏のひとりも いないとは情けないと
親父はいつも 笑い飛ばしては いたが
時折かかる電話を 一番気にしていたのは
当の親父自身だったろう
危険な年頃と 夫婦は疑心暗鬼
些細な妹の言葉に揺れていた
今は我が家の 一番幸せなひととき も少し
このままいさせてと 祈っていたのでしょう mm…
親子として mm…
或る日ひとりの若者が 我が家に来て
“お嬢さんを僕に下さい”と言った
親父は言葉を失い 頬染めうつむいた
いつの間にきれいになった娘を見つめた
いくつもの思い出が 親父の中をよぎり
だからついあんな大声を出させた
初めて見る親父の狼狽 妹の大粒の涙
家中の時が止まった
とりなすお袋に とりつく島も与えず
声を震わせて 親父はかぶりを振った
けれど妹の真実を見た時
目を閉じ深く息をして
小さな声で…
“わかった娘は くれてやる
その変わり一度でいい
うばって行く君を君を殴らせろ”と
言った mm…
親父として mm…
妹の選んだ男に間違いはないと
信じていたのも やはり親父だった
花嫁の父は静かに 娘の手をとり
祭壇の前にゆるやかに立った
ウェディング・ベルが 避暑地の教会に
鳴り渡る時 僕は親父を見ていた
まぎれもない 父親の涙の行方を
僕は一生忘れないだろう
思い出かかえて お袋が続く
涙でかすんだ 目の中に僕は
今までで 一番きれいな妹と
一番立派な 親父の姿を 刻み込もうとしていた mm…
兄貴として mm…
息子として
中文
祖母收拾完晚饭的时候
弟弟还躺在二楼的摇篮里
街头电视里空手道正打得白热时
我和老爸得知了妹妹诞生的消息
从那天起
老爸就一头扎进算命书和辞典
一扎就是一个礼拜
最终 为女儿起了个
极其平凡随处可见的名字
御七夜 满月参拜 夫妇俩自卖自夸
看我家可爱的女儿 兴奋地到处炫耀
可即使作为自家人 我也只觉得她是个皱巴巴的失败作品
想着将要降临在她身上的不幸 我的心就揪紧 mm…
作为大哥 mm…
妹妹出生的时候 我们家里
即使客气点说也算不上富裕
譬如在黑暗中 由于某个契机
看到了一线灯光
妹妹的出生就像是这样一件事
大概是所谓的父母爱儿女胜过儿女爱父母吧
于是乎
妹妹被毫不吝啬地养大
只是除了脸长得很像老爸
七五三 新入学 夫妇俩欣喜若狂
是她背着红色的书包 还是书包背着她
走在去学校的下坡道上 脚步摇摇晃晃
此情此景 至今仍印在我心中 mm…
作为大哥 mm…
是因为家里的遗传吗 妹妹也跑得很快
是年级接力赛上的明星
虽说最厉害的还是老爸的加油
吓住了对手
着实帮了大忙
这也是家里的遗传吗 妹妹演技相当了得
能在学校的文艺演出上出演角色
老爸的喜悦之情自不必说
哪怕角色只是一寸法师里的赤鬼
妹妹才华横溢 夫妇俩浑然忘我
待过了叛逆期 做顿红小豆饭
上了中学的话 或许多少能更淑女一些吧
家人的这点期待 轻易地就被背叛 那种失落 mm…
作为大哥 mm…
妹妹的初恋是在高二的秋季
对于那个排球部的队长来说 这是常有的事
结局自不必多说
如同枯叶般凋落 这也是常有的情节
连个男朋友都没有真是可怜呐
虽然老爸总是笑嘻嘻地这样说
但对偶尔打来的电话最在意的
还是这个老爸自己
危险的年纪 夫妇俩疑神疑鬼
听到妹妹的只言片语也会动摇
现在是我们家最幸福的时刻 请让此刻停留得更久些
或许他们一直在这样祈祷吧 mm…
作为父母 mm…
有一天 一个年轻人来到我家
说“请将女儿嫁给我吧”
老爸说不出话来 看着脸红着低下头的女儿
不知不觉间她已变得如此美丽
无数回忆掠过老爸的心头
所以不由得那样大声叫嚷
头次见到老爸的惊慌失措 还有妹妹豆粒大的泪珠
家里的时间凝固了
声音颤抖的老爸摇着头
连台阶也不留给打圆场的老妈
但当他看到妹妹的真心时
闭上眼睛 深吸口气
小声说道…
“明白了 就把女儿交给你
作为条件 一次就好
让我把要夺走她的你痛揍一顿”
他这样说 mm…
作为老爸 mm…
相信妹妹选择的男人不会有错的
毕竟也还是这个老爸
新娘的父亲静静地拉着女儿的手
缓缓地站到祭坛前
当婚礼的钟声在避暑地的教堂响起
我望着老爸
父亲的老泪纵横
我大概一生都无法忘记
满怀回忆的老妈也已泪眼朦胧
迄今为止最美丽的妹妹
和最仪表堂堂的老爸的身影
我想将他们铭刻在我心中 mm…
作为大哥 mm…
作为儿子
解说
- 这首歌曲是为1978年的轻井泽音乐节而作。[1]
- 曲中人物的原型,佐田小自己5岁的妹妹佐田玲子实际上一直未婚[1]。佐田曾在演唱会上说“有谁能来把她娶走吗”,并曾在自己主持的广播节目里说“希望她找个有钱人结婚”,碰巧听到节目的玲子于是打来了骚扰电话[2]。
- 单曲收录的版本录音于1979年8月28日在歌舞伎座的现场演出。单曲的发售日10月12日则是佐田的父亲的生日[1]。
- 这首歌曲曾于1989年和2009年两度被改编为电视剧,佐田本人在两部剧中都有友情出演。[1]
- 在佐田2009年的专辑『美しい朝』中,收录了本歌曲的回应歌曲(Answer Song)『ママの一番長い日』(妈妈最长的一天),歌词内容延续了本歌曲的情节,以妹妹的丈夫的视角描写了两人与女儿(本歌曲中老爸的外孙女)之间的故事。[1]
影音资料